サービスを終わらせるにあたり思うこと

自分がディレクションしてるあるサービスが、終了(もしくは大幅な縮小)することになった。

運営していたのは、いわゆるCGMと類される参加型のサービス。ユーザにコンテンツをアップロードしてもらうことから始まり、コンテンツを通じてユーサーが集い、コミュニケーションが生まれる。サービスフレームとしては、SNSに近いものだ。

それを2年ほど運営してきたが、その間に、結果として、会社への利益貢献が果たせなかった。

PVやUB、会員数などの指標は、右肩上がりの基調ではあったものの緩やかであり、大きく拡大できず。将来の、成長のポテンシャルも提示することができなかった。

だがなにより痛いのが、ビジネスモデルを確立できなかったこと。いや、マネタイズへの端緒すら掴むことができなかったこと。これはトライ&エラーに終始した。


だからサービスのシュリンクは、経営判断のひとつとして間違っているとは思わない。現場の担当者としては「続けさせて欲しい」と訴えるが、これまでの経緯、再建計画の実現性と再成長の見込み、マーケット状況など総合的に判断し、場合によっては撤退することも会社にとっては必要なハズだ。

だが情けないことに、終わると告げられて初めて、投資に報えていなかったことの重大さを思い知った。

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サービスをこの手で終了させることになるのは初めてで、こんなに辛いものなのかと思う。

星の数ほどあるサービスのなかの、ゴミともわからぬ一粒がパチリと消えるだけだろう。上司の言う「見込みの薄いサービスに見切りをつけ、新しい種を蒔いた方がいい」という言葉も本当にその通りなのだが、頭では納得がいっても、気持ちの整理がつかない。

気持ちの整理がつかない理由のひとつは、原因が直視できていないせいだ。何がどう、いけなかったのか。どうすれば良かったのか、突き詰めないといけないのに、わからない。これは自分にとって大きな課題だ。

もうひとつの理由はたぶん、ユーザの存在だ。

「すみませんが終了します」と伝えないといけないが、それが苦しい。著名なサービスと比べたら決して多くはないが、一定数のユーザが熱心にアップロードし、盛んにコミュニケーションしてくれていた。

手前味噌だが、本当に雰囲気のいいコミュニティが醸成されていた。利用者の年齢層も高めで、大きな子供や孫がいるような大人たちが、嬉々として楽しんでいる様子は、当初不思議だった。が、今ではそれが嬉しく、誇らしい。

熱心な利用者が多いので、このサービスが無くなっちゃって大丈夫?と、余計なお世話だが、少し心配だ。

もしかしたら、案外あっさりと、代替サービスを見つけて、うまく移行してくれるかもしれない。でも、このサービスをいつも使ってくれて、コミュニケーションをしてくれて、そうやって育ててもらった場を、こちらの都合で終わらせることに対して、本当にお詫びのしようがない。

システムは作ろうと思えば作り直せるが、そうじゃない代替の効かない大切なものを、自分が終了させてしまう。そのことにどうしても、気持ちの整理がつかない。


たぶんサイトの告知では、終了について「申し訳ございません」と事務的にしか言えないと思うけど、本当に本当に「ごめんなさい」と思っている。